解決事件簿

事件の内容や犯人を公開します。

池永チャールストーマス容疑者 三鷹ストーカー殺人事件

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2011年10月頃、関西在住のAが東京在住のBと実名制SNSを通じて知り合い、同年12月から遠距離恋愛というかたちで交際が始まった。男性は日比混血児(ジャピーノ)の高校卒業後は、フリーターとして当時はトラック運転手をしていたが、南米ハーフの関西有名私大学生と偽って交際していた。

 

約1年間交際していたが、Bが2012年秋に外国留学するようになった頃からAへの別れ話が出た。2013年春にBが留学を終えて帰国したが、Aは執拗に復縁を求めた。BはAからの連絡をしぶしぶ取っていたが、2013年6月からは携帯電話を着信拒否し、連絡を完全に絶つようになった。

 

復縁できないと思ったAは、2013年夏からBの殺害計画を練りはじめ、当時アルバイト勤務していた運送会社を無断欠勤後に行方をくらまし、同年9月27日に居住していた関西から女子高生が住む東京へ高速バスで上京。

この時友人に「4、5年ほどアメリカに行く。

その前に彼女と話がしたい」と話していた。9月28日に武蔵野市吉祥寺の雑貨チェーン店で凶器となるペティナイフ(刃渡り13cm)を購入した。

 

Aが三鷹市の自宅のそばまで来ていることを知ったBは10月4日にストーカー被害を在籍高校の担任教諭らに相談。

学校側は近くの杉並警察署に電話で問い合わせ、署の担当者はBの自宅を管轄する三鷹警察署に相談するよう指導した。

 

10月8日午前にBは両親と三鷹署を訪れて「待ち伏せされている」などとAのストーカー行為について相談。

三鷹署の警察官はストーカー規制法に基づき、Bが把握していたAの携帯電話の電話番号に3回電話をかけたが電話に出ず、連絡するよう留守番電話に入れた。

Bはその後に1人で高校に登校し、授業が終わった後で帰宅した際には両親は仕事等の用事で外出しており、自宅にはB一人だけだった。

 

Aは昼過ぎにB宅2階の無施錠の窓から侵入し、1階のBの部屋のクローゼットに隠れて、殺害の機会をうかがっていた。

クローゼットに隠れながら殺人事件まで友人に無料通信アプリを通じてB宅の電話番号とみられる番号を告げる形で室内に誰かいないか確認する電話をかけるよう依頼していたが、その一方で「ふんぎりつかんからストーカーじみたことをしてる」「そのつもりなかったけどなんやかんやで押し入れの中。出たいけど出られへん」「三時間前のおれしね」「あー無事にかえりたいよぅ」「詰みだわ」と殺害に葛藤があるかのような言葉を送信していた。

 

16時53分、AはBの部屋で潜んでいたクローゼットから出て、ペティナイフを持ってBを襲撃した。AはB宅の外の道路にまで逃げたBを追廻し、首や腹に11カ所の刺し傷や切り傷をおわせた(致命傷は3カ所あった)。16時55分に路上で倒れているBが発見され、110番通報がされた。

18時30分にAはズボンに血痕があったことから警察官から職務質問され、事件への関与をみとめたため、殺人未遂罪で緊急逮捕された(Aは襲撃から逮捕されるまで、友人や母親に携帯電話で殺害を実行したことを告げた)。

Bは帰宅した際に三鷹署の署員と電話で話しており無事帰宅したことを16時51分に伝えていたが、電話を切った直後に事件は起きた。

逗子ストーカー殺人事件を教訓に対策を強化した改正トーカー規制法が5日前の10月3日から施行された矢先のストーカー殺人であった。2013年10月11日にAの供述から、路上に捨てられた凶器であるペティナイフが発見された。

 

犯人

池永チャールストーマ

 

リベンジ・ポルノ動画等で、彼女は2度殺せれていると言われている。。

許せない気持ちになりますね。。